スポンサーサイト

  • 2017.07.16 Sunday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    滞空時間の記憶

    • 2015.03.15 Sunday
    • 21:09


    楽しみにしていた時間が、ひとつ、過ぎていった。
    どちらかというと、緊張の塊を抱えて、どこか頭の上の上のほうに楽しみが浮かんでいるような。
    そんな感じで、その時間を待っていたんだ。

    その一日はとてもおだやかで、だけどガヤガヤもしていて。
    あっという間のような、長い長いスローモションのような。
    そんな一日。

    あわたま6th aniversary live『奏森vol.2』
    奏でられる音は、なんだか少し、空の上からの音色にも聞こえた。
    空間は、どこか遠い国の日常のようで、お祭りのようで。
    まるでどこかへ旅したような、異空間を全身で味わう。
    合間に聞こえる音や笑い声はとてつもなく心地よくて、あたたかくて。
    なんだか無性に、ウキウキする。
    いいにおいを感じては顔がほころんで、特別においしいご飯が待っていた。


    少し時間が経って気付くのは、奇跡みたいなできごとばかりだったということだ。


    知らない場所へ旅して知ること。
    異文化、平和?日本?
    感情、可能性。
    そして自分の常識。




    まさに夢のような、一日の旅でした。
    ありがとうございました。







     

    2014年

    • 2014.12.31 Wednesday
    • 23:55



    ここを覗いて足を運んでくださった方、珈琲を飲んでいただいた方、本当にありがとうございました。

    今日焙煎をしていて、今年の〆と言うよりは、一年という区切り、その先へ向けての準備だなと感じました。
    時間は過ぎるけれど、なくなるわけではない。
    なにもかも積み重ねであると思っています。


    おそらく終わりはないであろう珈琲に、また来年も向かいます。




    スタートする準備はいかがですか。
    良い一年になりますように。


     

    自分よがりな話

    • 2014.09.05 Friday
    • 00:44

    季節の移ろい。
    あの蒸し暑苦しい夏がなければ
    少し冷めた風にせつなさを感じることもないのかな。

    今年も秋がきました。
    秋、大好きです。
    もうすぐ柿も食べられます。

    MOMOさんでのミュラー展が終わりました。

    季節の変わり目、
    やさしい灯り、木のぬくもり、歴史のあるおもちゃ
    遠いドイツという国
    大人たちの幼心の目、幼い子の表情や感性
    なかなか味わえない独特な時間が流れていたように思います。MOMOさんのブログでその様子が味わえますので、ぜひのぞいてみてください。
    お会いできた方々、MOMOさん、本当にありがとうございました。

    次は10月5日(日)に
    富岡おかって市場で開催される『秋のパン祭り(仮)』でお会いできるかと思います。
    たまにはゆっくりお話がしたいですが、なかなかなかなか。
    また詳細がわかり次第こちらでお知らせします。






    珈琲と関わるということ、誰かに飲んでもらうことについて、今回は特にたくさんのことを思ったので少し書きます。
    はじめにとても自分よがりな話だということ、言い訳をしておきます。


    焙煎を始めてから2年ほどが経ちました。
    珈琲に興味を持ってからは3年ぐらい経ちました。
    ただ楽しくて珈琲に夢中になっていたところから、
    おのずと人に委ねる
    (買ってもらう、飲んでもらう、選択してもらう)ということを考えながら、珈琲と向き合うようになりました。
    まずわたしは焙煎をしているので、おいしい珈琲が焙けないとまったくダメです。
    おいしいというのは個人差があると思いますが、わたし自身がおいしいと思えることとして、ここでは書きます。
    おいしい珈琲、とてもシンプルな事です。
    ただそれは大前提の話であって、わたしが珈琲を焙煎し始めたのは、そこが目的ではありませんでした。
    自分の作る珈琲でどんなことができるのかとか、どんな場所が作れるのかとか、珈琲の楽しさを伝えたい、とか。そんなことを考えていました。
    誰かのちょっとした豊かさに、そんなことも言っていました。空間やサービスがよければ、なんとかなると思っていた節もあるかもしれません。
    それから次第に、どんな珈琲が作りたいのか、どうしたらおいしい珈琲ができるのか、どうすれば正しい珈琲になるのか、きちんと“作ること”を考えるようになりました。
    おいしい珈琲という大前提を乗り越えないと、できることも、場所もなにもないのです。


    いい場所には、必ずいいものがあります。
    思いや作り手のあらわれる、そのままのものがあります。

    わたしはまだまだひよっこの珈琲人です。数も知識も全く足りていません。
    だから作ります。これからもたくさん作ります。
    知識も必要です。歴史も気になります。いろいろな方の作る珈琲も飲みます。いろいろなお店にも行きます。
    淹れ方も試行錯誤します。豆もいろいろな種類を焙煎しています。
    いろいろなことを取り入れて、その時にできる一番のものを、これからも都度目指します。

    イベントに合わせて生豆を用意して、珈琲屋としてのおもしろさを考えたこともありました。
    需要を考えることももちろんあります。速さを重視した方がいいかと考えたこともあります。
    損得を考えることもありました。だけどすべて、それ以前に自分のおいしいと思える珈琲が必要でした。

    ただおいしい珈琲が作りたいです。
    その先に“良い”が作られていくと思っています。

    珈琲がなにかのきっかけを生むことを知っています。
    だから、遅くても悩んでも、誰かにとっては正しくなくても、
    自分がおいしいと思える珈琲を作っていきたいです。
    とてもシンプルな事、それが難しいと、とても感じています。

    すごく自分勝手な話をしました。
    わたしなりの、密かな決意表明です。
    今、部屋では焙煎したての珈琲が薫っています。
    それがとても幸せです。




    あっという間に、朝晩はずいぶん冷えるようになりました。冷え取りの効果が出ているような気分になっています。
    体調や気など崩さぬよう、みなさん御自愛くださいね。






     

    染み

    • 2014.09.03 Wednesday
    • 00:01

    朝の珈琲を服にこぼした。
    それがふとした時に香っている。
    甘い味のするにおい。
    カップの中にも残るこのかおり
    記憶にも染みついているこのかおり
    いつかそのまま珈琲にならないかな。


    最近、会いたい人に会って会って会って
    人に会いたくなくなって
    自分から出る言葉が嫌になって
    話すことをやめたくなって
    人から出る言葉に敏感になって
    また人に会って
    今度はやる気を湧き起こしたり
    可能性を考えてみたりする。

    ここはどんな場所だろう。
    わたしは珈琲に詳しくなくて、
    誰かに提示できるような考えがあるわけでもない。

    なにをしたらいいんだろう。
    いやこうするべきだろう。
    よしこれでいこう。
    でもそれでいいのだろうか。
    なにがしたいんだろうか。
    ぐるぐるしている頭の中から
    言葉は次々に出ては消えている。
    要は、ぶれぶれということ。

    ただ、選択しているということは言える。
    マイナスな言葉として真面目だと言われても
    だらしがないと言われたとしても
    甘いと言われようと
    わたしはどこかで選択をしてそれを選んでいる。


    周りの人があきらめても
    わたしは自分をあきらめない。

    傍から見えるものはほんの一部分でしかない。
    これはきっと優しくなるためのチャンスになるよ。



    ネガティブな染みをつけるのは結局自分だ。

    感覚や匂いや味は知らぬ間に染みついていく。
    発見や気付きや知識も染みこんでいく。
    好きをどんどん染みつけていく。





     

    とりとめのないこと

    • 2014.07.25 Friday
    • 22:30

    ほんの小さな畑を耕す。
    なにを植えるでもなく、草だらけの土をひたすら耕す。
    なんの根っこだか、ながーいやつが土の中に張り巡らされている。
    ただそれを引っこ抜いて、さくさくと土が元気になっていく感覚が楽しい。

    根っこをひたすら抜いていると、無心どころか
    ものすごい数の考え事が頭の中をめぐる。
    とりとめのないあれやこれやのやりとりが
    頭の中で繰り返される。
    その時間がとても心地良い。

    振り返ってみれば、生きているものはすべてが土と水からできている。
    木だってそうだ、野菜もそう、動物、卵やお肉だってそう、もちろんわたしも。
    極論かもしれないけれど、土と水があれば生きていけるのかもしれない。
    その逆もまた然り。

    そうやって少し、未来のことを思う。

    わたしなりに。
    未来を思うと、今あることが、少しだけはっきり見えるかもしれない。
    今、でさえ、時にぼやけて見えるのだから。

    未来なんてもうまるごと、とりとめのないことだ。


     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031    
    << October 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM